日本のエネルギー外交の基本姿勢とアラビア半島のメインビジュアル
一定のエネルギー外交の元に戦後70年を過ごしてきた戦後日本ですが、2011年の東日本大震災でその方針は大きく崩れることとなりました。

それまでの日本はどのようなエネルギー政策を維持してきたのでしょうか。今回は戦後日本のエネルギー外交と重要な立ち位置を占めるアラビア半島の関係を見てみたいと思います。

戦後日本のエネルギー戦略と原油のかかわり

第二次世界大戦の反省から、戦後日本は西側を中心とする国際社会と共同歩調を取ることで安全保障にかかるコストを切り詰めて経済成長を図り、資源を輸入し製品を輸出する貿易国家を志向しました。
これにより至上命題となったのは、あらゆる産業の維持に欠かせない原油の安定供給です。この課題を達成するために中東産油国への積極的な企業進出の支援や輸入に要する超大型タンカーの大量建造、国内石油プラントの効率化などを進めます。
この方針を大きく変更するきっかけとなったのが、1970年代に2度に渡って発生した中東産油国の原油輸出価格の値上げをきっかけとする「オイルショック」です。
中東産油国の価格カルテルであるOPECによる原油輸出価格の釣り上げは、それまでの原油資源一辺倒のエネルギー戦略を大きく変更することとなります。
同時に高まっていた地球環境保護の声を受けて、火力と水力、原子力の3つの電源を組み合わせる「エネルギーミックス」によって、地球環境に配慮しながらも電力・エネルギーの安定供給を狙う「エネルギー基本計画」を策定します。

東京電力福島第一原子力発電所事故と化石燃料回帰

このエネルギー基本計画は順調に進みますが、2011年に発生した東日本大震災を原因とする東京電力が管理する福島第一原子力発電所事故により大きな変更を余儀なくされます。

地震を原因とする直接の被害はなかったとされるものの、その後の津波による電源喪失により炉心冷却に失敗して発生し、INES(国際原子力事象評価尺度 = International Nuclear Event Scale)によって1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故と同じ「レベル7(深刻な事故)」と認定された福島第一原子力発電所事故は、それまでのエネルギー基本計画の改定を迫ります。
当初は全ての原子力発電所の即時廃止をはじめとする過激な方針が唱えられていましたが二転三転し、最終的には従来よりもはるかに厳格な安全基準の導入による原子力発電所の再稼働の決定と、太陽光をはじめとする自然エネルギーの開発を促進することを決定しました。

このような長期的方針の裏で、短期的には福島第一原子力発電所事故を受けて全国の運転中の原発の即時停止が行われたために電力不足が心配されることとなりました。
事故発生直後には主要な消費地である首都圏を中心に輪番停電が計画され、同時に老朽化により用途廃止になっていた火力発電所の再投入まで行なう非常手段により電力不足の危機を乗り切りました。
老朽火力発電所の再稼働の過程で燃料である大量の原油が必要となり、一般の市場価格よりもはるかに高価格で原油を大量購入したことで戦後数十年に渡って維持してきた貿易黒字は赤字に転落するなど、福島第一原子力発電所事故は事故そのものはもちろん、それ以外の様々な部分で非常に大きな影響を政治・経済の両面に与えました。

今後のエネルギー戦略はどうなるのか

先にも触れたように、水力と火力、原子力の3つの電源を組み合わせることでエネルギー・電源の安定供給を図るエネルギーミックスは福島第一原子力発電所事故により放棄されることとなり、太陽光をはじめとする自然エネルギーの積極的な推進を図ることとしています。
しかし自然エネルギーは数十年単位で開発が続けられているものの、現在に至るまで国内で大規模電力源として採用された実績は少なく、安定供給が欠かせない大規模電力源として利用することは不安視されています。
福島第一原子力発電所事故以降、電源構成は火力が9割、水力が1割と非常にいびつなものとなり、火力発電所の主な燃料である原油・天然ガスの主要な産地である中東諸国(アラビア半島)との外交関係がこれまでにも増して重要になると思われます。

おわりに

表面上は震災以前の平穏を取り戻したように見える日本ですが、エネルギー安全保障の観点から見るとかつてない危機的な状況に立たされ続けていると言えます。
日本の今後を決めるのは、中東産油国との安定した関係と、資源価格の動向にかかっていると言っても過言ではないでしょう。