石油価格

現在の私たちの生活は石油とは切っても切れない関係にあります。
そんな重要な石油に関してのニュースの時に、「OPEC」という組織名を度々耳にしますが一体どんな組織なのでしょうか。

石油輸出国機構「OPEC」とは

石油輸出国機構「OPEC」は1960年9月、

  1. 加盟国の石油政策の調整及び一元化。加盟国の利益を個別及び全体的に守るため最良の手段の決定。
  2. 国際石油市場における価格の安定を確保するための手段を講じること。
  3. 生産国の利益のための着実な収入の確保、消費国に対する石油の効率的、経済的かつ安定的な供給、及び石油産業における投資に対する公正な資本の見返りの確保。

を主な目的に発足されました。
現在加盟しているのは12ヶ国です。

OPECの発足

OPECが発足した理由には「国際石油資本(石油メジャー)」が大きく関わってきます。
国際石油資本は石油の探索、生産、輸送、精製、販売のすべてを垂直統合で行う石油系巨大複合企業の総称で、1959年2月には石油産油国に断りなく石油価格の引き下げを発表しました。
これに対して産油国側は強く反発し、カイロでアラブ連盟第1回アラブ石油会議を開催して、国際石油資本に石油価格改訂の事前の通告をするように要請しました。

この要請は棄却されましたが、カイロでの会議の際にペレス・アルフォンソによって南米と中東の産油国が団結して利益を守る協定が提案されました。
そして、1960年8月に国際石油資本が再び石油価格の引き下げを発表した際に、産油国は反発し、1960年9月にイラクのアブドルカリーム・カーシムの呼びかけでバグダートに集まり、石油輸出国機構「OPEC」が発足しました。

OPECの歴史:一度目のオイルショック

こうして発足したOPECは次第に頭角を現していきます。
1969年にリビアにのみ有力な油田をもたなかった「オクシデンタル・ペトロリウム」社に揺さぶりをかけ、1970年には産油国側からの価格改定を認めさせました。

1973年の第一次石油危機の時には大きく躍進します。
1973年10月に第四次中東戦争が勃発すると、OPEC各国は石油価格を70%引き上げ、12月には更に130%の値上げを実行しました。
これにより、原油価格の暴騰と深刻な石油不足の「オイルショック」が引き起こされます。
この一連の事件でOPECは世界全体に存在感を強く示します。

OPECの歴史:絶頂期と二度目のオイルショック

オイルショックが収束を迎えてもOPECは原油価格の決定の主導権を握ったままでした。
このころはサウジアラビアがOPECの主導権を握り、各国の需要と供給を把握し、組織と原油価格の統制を保っていました。
1976年にサウジアラビアとイラン、イラクなど対立し、価格が不安定になることがありましたが、OPECは原油価格のカルテルとなり、まさに絶頂期を迎えていました。

その後、1978年にイランの情勢悪化によって再び暴騰が起こり、OPECも10%の値上げを実行しました。
1979年にはイラン革命の勃発とアメリカの石油需要の拡大も発生したので、さらに価格は暴騰します。
これを受け、OPECは必死に価格の統制に尽力しましたが、失敗し、第二次石油危機が1980年まで続くことになります。

衰退と現在

第二次石油危機が収束すると各国が代替エネルギーの開発や石油備蓄の拡大などに動き出し、徐々に供給過剰の気配になりはじめます。
また、OPEC全体も生産調整や価格設定に関して足並みがズレ始め、1985~86年の大暴落、サウジアラビアの原油の公示価格制の放棄などが決め手となって、OPECが原油価格を決定できる時代が終了しました。

1999年頃からは全加盟国が強調して生産調整を行うようになり、原油価格の引き上げに成功しました。
2000年代も引き続き生産調整を行うことで、原油価格に対して影響力を発揮しています。

おわりに

現在では、アメリカのシェールオイルなどの様々な要因が重なって、世界全体で石油の超過供給が起こっています。
2016年は、原油価格と生産量に強い影響力をもっているOPECとアメリカがどういったアクションをするかに注目が集まっています。

参考文献

石油輸出国機構(OPEC:Organization of the Petroleum Exporting Countries)の概要 | 外務省